なぜ山中漆器で塗りのインターン制度を実施するのか?
2020年07月25日
山中漆器は16世紀後半にまでさかのぼることができ、約450年の歴史があります。安土桃山時代、越前の国から山伝いに、加賀市山中温泉の上流約20kmの真砂(まなご)という集落に移住した木地師たちのろくろ挽きが始まりと言われています。

祖父の孝夫(木地師2代目)
そのような産地でもあって、現状、石川県挽物轆轤技術研修所で学び、卒業した学生は、木地師を目指す方が多いです。卒業すると木地師の所で何年か修行し、どんどん後輩が入ってくることもあって、独立していきます。私は、木地師の家系ということもあり、研修所から帰ると、叔父の工房で祖父と叔父の木地師に囲まれ、怒られながら木地の練習をしていました。

木地を挽く浅田(10年前)
皆様の中には、このような産地の中で、私が、思い付きで塗りの職人を育てたいと言い出したように思う方がいるかもしれません。
しかし、そうではありません。
山中漆器は、安土桃山時代から伝わるロクロの技術に加えて、江戸中期から、会津や京都の塗りの技術、金沢の蒔絵の技術を応用し、ここまで発展してきた産地なのです。
現在も、このプロジェクトで紹介するように、山中にも高度な塗りの技術を持った職人がいます。
しかし、塗師を目指す学生はいません、なぜか。
山中漆器の仕上げ方は木目を見せる拭漆*や目弾き塗*が多く、下地を付ける塗の仕事が少ないのです。
その結果、職人を雇うことも弟子を取ることも困難となった今の状況が影響していると思います。
このままでは、山中漆器で下地、上塗の職人が更に少なくなることは目に見えています。
山中漆器は、“漆を下地、中塗り、上塗りと何層にも塗る漆器”と比較すると、塗りの層が少ない分、比較的お求めやすい価格で商品を販売することが可能ですが、従来のいわゆる山中漆器だけを作り続け、販売していくと、塗りの仕事も増えず、人材を確保することも、育てることもできないため、山中漆器が、世界に誇る歴史ある塗りの技術が途絶えてしまうことになるのです。
*拭漆 (ふきうるし)・・・ケヤキなどの木目を見せるために漆を塗り拭き取る工程。製品では5~6回ほど塗ります。京都では摺漆(すりうるし)と呼ばれます。
*目弾き塗 (めはじきぬり)・・・目はじき塗りは、木材の導管の内部に入っている空気が、塗面の漆をはじくのでこの名があります。ケヤキ、クリ、タモ、センなど、導管の大きい素材を用い、その他の部分は漆を吸わない状態にしてから上塗りをします。
一方で、今、全国には伝統工芸を学べる施設や大学などは様々あり、中には2~4年間、伝統工芸士の方から直接学べるところもあります。
しかし、先に述べたような状況が、おそらく他の産地にも少なからず構造としてあって、伝統工芸に関する働く環境も減少しているのではと危惧しています。
つまり、若き作り手はいるのですが、雇用して育てる環境が充分でないのです。
私は、後継者を育てるには、江戸時代の山中のように、人材を招き入れていかなければならないと考え、まずはインターン制度を設立し、山中漆器の塗りの技術を知ってもらいたい、そして、山中の環境も現地で見てもらいたいと考えました。
そして、このプロジェクトの成功を、近い将来、山中に有能な若き人材が集まり継続的に働ける環境を作るための第一歩にしたいと考えています。
山中漆器の良いところは、木地から、下地、上塗、蒔絵ができる環境があるということです。
私は、この環境を生かし、いま一度、山中漆器の歴史の原点に返り、昔から続く伝統の塗りと仕組みを活かして新しい山中漆器のブランドを築きたいのです。

山中漆器の木地・下地・上塗の技術を結集した叢雲塗SUWARI
▶︎なぜ浅田が取り組む必要があるのか?
このプロジェクトは本来、組合や、もっと大きな団体で実施すべきと思う方がいるかもしれません。
そうかもしれません。
しかし、私は、今まで京都伝統工芸大学校や石川県挽物轆轤技術研修所で学んだ同期の学生が工芸の世界を諦めて他の仕事をしていく姿が悔しくて、伝統工芸に携わる仕事を続けられる環境を作らなければならない、伝統工芸でしっかりと利益を出し、一人でも多くの技術ある作り手が集まり、人も産業も育っていく仕組みを作らなければと思ってきました。何度も悔しい思いをかさね、自分が動かなければならないと決心しました。
山中という恵まれた産地に育った私がやるべきことなのだと考えています。

秋のこおろぎ橋
私は山中温泉生まれ、山中温泉育ちの純粋な山中っ子です。周りは田んぼに囲まれ、幼いころから工房で遊び、道を歩けばロクロで木を削る音を聞いて育ちました。
毎日の食卓は当たり前のように、ほぼ漆器で食事をしていました。
山中漆器という産地の木地師家系に生まれ育った私は、環境に恵まれていたのだと思います。
そんな私が、京都伝統工芸大学校の学生時代に、先生から「あんたは職人を守るような人にならないかん」と言われたことが、当時の私の心に深く突き刺さりました。
私は、この言葉を生涯忘れてはならないと思い、そして今日まで工芸の世界で、産地の仲間、先輩方に助けて頂きながら活動してきました。
山中漆器は分業制で成り立っています。
誰が偉いとかではなく、一つの工程が抜けては成り立たない世界です。
先輩の職人は気さくな方ばかりですが、強いこだわりやプライドがある方々です。だからこそ、難しい高度な形でも制作でき、手を抜かない漆器が制作できるのだと思います。再度、お伝えしますが、山中漆器の良いところは、木地から、下地、上塗、蒔絵ができる環境があるということです。
この環境をより良い環境にし続け、魅力ある職人が仕事をする産地にしていきたい。
こだわりの漆器が世の中に沢山届けられる環境を、若き作り手と語り合いながら、より良い環境をこの山中に作れたとしたら、こんなに嬉しく、頼もしいことはありません。
このような想いからプロジェクトを企画し賛同、ご支援を募集しています。

展望台より見渡す山中温泉全景
幸いにも私は、このプロジェクトにご理解を頂ける団体、職人に恵まれ、このプロジェクトを企画、発表することができました。そして、早速、ご賛同頂けた皆様からもご支援を頂き、大変嬉しく思っています。
今後の活動報告では、漆器ができるまでの経過や、山中漆器インターンの様子なども紹介していきます。一人でも多くの方に、このプロジェクトの情報を届けていければと思い、クラウドファンディングを活用させてもらっています。
引き続き、山中漆器インターン制度実現に向けて、情報拡散、応援、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
浅田漆器工芸 浅田明彦